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2009年 05月 06日
上司と一緒にパゲの檻へ行くと、格子状になった鉄の柵の一部が三十センチ四方に切り取られていた。こんなの特殊な機械を使わないことには無理だ。きれいな正方形を描くその空は、悪意よりは作為を感じさせた。パゲと話ができると言ったあの男が、動物園を嫌がるパゲを助け出したのだろうか。
そりゃ逃げ出したい気持ちも分かるけどね、と嘆息しながら彼女は思った。だいたいが動物園なんて悪趣味の極みだ。自分が逆の立場だったら、とたまに考えて純粋にぞっとする。端から端まで六歩しかない檻に入れられて、餌を食べる他には昼寝と、こちらを指差して笑ったり騒いだりするギャラリーに晒され続ける日々。 「瀬尾さん、何か変わったことがあったか、覚えてる?」 「知りませんよ。パゲと話ができるわけじゃなし」 彼女が不機嫌そうに吐き捨てると、気弱な上司はすぐにそうだよね、変なこと聞いてごめん、と恐縮した。この上司は彼女の父親の大学時代の後輩で、今でも父親に頭が上がらない。 彼女には動物園に就職する気など毛頭なかった。獣医をしている父親の意向で地方の獣医学部を目指し(獣医学を専攻しないのなら大学にはやらない、と言われた)、入学したあと遊ぶことだけを考えて必死に受験勉強をした。無事合格して念願の一人暮らしを始めたものの、駅前から延びる一本の商店街が唯一の繁華街というその土地では、遊ぼうにも場所がなかった。同級生は男、それもいけてない部類の人たちが大半で、友達を作る気にもなれなかった。 次第に大学から足が遠のいた。長距離バスで隣県の都市まで出てクラブやライブに行くことを繰り返し、そこでできた友人たちの家に転がり込んで、何日も自宅には帰らないこともままあった。 初年度は何とか単位をかきあつめて進級した。けれど授業の内容が難しくなり、実験も増えた二年目はもうアウトだった。留年したことを告げると父親はしばらく電話口で押し黙ってから、「来年は頑張りなさい」と重低音を効かせた声で言った。 でも彼女は次の年も留年した。さすがの父親も匙を投げ、あえなく退学・強制送還処分になった。 実家に戻ってからはしばらくぶらぶらしていた。母親が甘い顔をするのをいいことに、申し訳程度にアルバイトをしながらコンパで知り合ったITベンチャーの重役という男と付き合った。三十を過ぎた相手は、立場的にそろそろ身を固めたい、としきりに言った。彼女の方も結婚してもいいかな、と考えていた。 しかしある日を境にぷっつり連絡が取れなくなった。訳が分からずに周囲の人たちに相手の消息を尋ね回ると、どうやら勤め先が倒産して雲隠れしたらしい、ということが分かった。それなりの展望を突然取り上げられて、毎日何をするでもなく家で呆然とする彼女に、父親がついに堪忍袋の緒を切らした。父親の経営するクリニックで働くか、コネのある動物園で働くか、どっちか選ばないことにはもう実家には置かない、と迫られた。どっちも嫌だと言ったところで、獣医学部中退、職務経験なしの彼女にまともな働き口が見つかる訳がなかった。かと言って、子どもの頃から何不自由なく甘やかされて育った身に、貧乏暮らしが出来るはずもなかった。 動物園を選んだのは、父親の懐で飼いならされたくない、というなけなしの意地と気概の発露だった。でも所詮なけなしはなけなしで、きつくて汚い重労働にはいつまで経っても慣れない。早いとこ収入のある男を捕まえて寿退職したいのだが、動物園の飼育係という職業はネタにはなっても、男ウケはすこぶる悪い。こんなことならクリニック受付の方が三百倍くらいイメージが良かったんじゃないか、と今さら思う。「動物好きな優しい子」のイメージ。結局男なんて自分の見たいイメージを女に投影しているだけだ。それを上手に映してあげられる子から先に結婚していく。 現場検証にやってきた二人の警官の仕事を見るともなしに眺めながら、彼女は今は不在の檻の主に思いを馳せた。 #
by kakuukakibito
| 2009-05-06 18:07
| ソマ
2009年 05月 02日
母が死んだ日。
その日のことを、そう、うまく思い出せるわけじゃない。現実的な話をすれば、彼女は自殺だったということになる。家の裏庭の桃の木に、曽祖父の形見だと聞いている朽ちた茶色のベルトをまきつけて首を吊った。桃は、七分咲きだった。朽ちた、革のベルトは、彼女が絶命するのを待って、それから真っ二つにちぎれた。葬式は簡素なものだった。父は既に、私が人の顔を識別できるようになる以前に他界していたし、親戚といっても、わずかに母方の祖母と叔父それに従妹がひとり、参列してくれただけで、あとは近所の人々や、私が通う小学校の教員が幾人か参列してくれてどうにかかたちになった程度のものだった。 前日の夜。遅い時刻。彼女は掃除機を丹念にかけていた。清潔好きで神経質な彼女が、夜遅く掃除機をかけたり、雑巾を固く絞って家中を必要以上に拭いてまわるのは、そう珍しいことではなかった。ただ、その夜に限っての、掃除機のモーターの振動音が今でも私の耳から離れないのは事実で、それが「ぬぐいきれない膜」を呼び起こすためのスイッチになっている。「拭いきれない膜」そのものの正体を、私自身もはっきりと把握しているわけではないが、それは恐ろしいものの象徴ではあるが、私を守ってくれるものだと信じている。 さて、話は仕事の件にもどる。 私が仕事で「話」を聞くのは、基本的に、いやこれまで例外なく或る建物中でのみとされていた。おそらくクライアント個別の事情や、機密保持の観点から考慮しても、一定以上のガードが有効となる空間で行ったほうが企業としての信頼高まるはずなのだが。 その日ボスはいつもにも増して不機嫌な様子だった。基本的には繊細で気の弱い、心配性の人だから、だいたい『上』に無理難題を押しつけられると、もろに言動に表れるのだが、この日はスペシャルな無理を通された様子で、用件を伝える間中、タバコの煙は絶やさなかったし、目は血走り、言葉には棘が数え切れないほど生え、鼻息はと屠殺をまつ豚のように荒かった。 恵比寿町から古びた電車に乗り込んだ。一両編成。昭和三年製造の車両だ。祖父のような年齢の電車がハイブリッドの自動車に混じって、ランチュウの泳ぎみたいに車体をくねらせながら走る。その振動は相当のものだが、さして不快ではない。やがて、かなりの時間を費やして大和川を越え、電車は堺の町を抜けてゆく。そして終着駅。 手渡されたgoogleからプリントアウト地図を片手に歩く。どうしようもなく暇そうな食堂。シャッターの降りた鮮魚店。耳鼻科。コンビニなどは見当たらない。川沿を北に進み、幾つかの角を指示通りに曲がり、夕日が、もう限界というほど大阪湾に埋没しそうになったころ、私はようやくその屋敷に辿り着いた。出張で「話」を聞くなどありえないことだ。ボスの様子からして、『上』からの圧力が相当なものだったことは相続がつく。ある程度以上の覚悟が必要とされる。わかっている。わかってるさ、そんなことくらい。 屋敷は異様な姿をしている。コンクリート造。おそらくは大正末期か、昭和の初め頃の建造物。窓という窓にはステンドグラス。庭には棕櫚の樹樹。恐ろしいほどの建てまわし、改装に次ぐ改装、増築に次ぐ増築。まるで軍艦のようだ。ボタンを押すと呼鈴は厳かな音色を奏でた。タキシード姿の初老の男が応対し「では、すぐにでも」と私を上階へと促す。男に従い、曲がりくねった階段を最上階へと上がって行く。分厚い雲に顔を突っ込んでいるような気分になる。タキシードの男が恭しく扉を開ける。 そこで私を待っていたのは、白い、一羽のフクロウだった。 #
by kakuukakibito
| 2009-05-02 22:15
| 裏ひつじ
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